あらすじ
一匹の柴犬が、子のない夫婦のもとにやってきた。家に連れてこられたその日から、抱かれて冷たくなったあの日まで、犬を“もうひとりの家族”とした十三年の歳月をえがき、愛することの尊さと生きることのよろこびを、小さな生きものに教えられる≪新田次郎文学賞≫に輝く愛犬物語。――ハラスはいまも、私たちの心に生きている。
『ハラスのいた日々』裏表紙より
本書は、小説家である中野孝次氏のわんこエッセイ。登場するわんこは由緒正しい柴犬の「HARRAS(ハラス)」くん(血統書名は「甲武信号」)。名前は中野氏が翻訳した『犬の年』に登場するドイツ・シェパードからとったそうです。
ただし「ハラス」はなかなか日本人にとっては発音しにくかったようで、近所の子どもからは「カラス」とからかわれ、友人には「サラス」と勘違いされ、飼い主たちも「ハラ」「ハラ公!」と呼ぶようになったとか。
我が家でも「ちまき」と名付けたわんこを結局「ちま」「ちまちゃん」と呼んでいるので、非常に親近感がわきました。発音のしやすさ、大切ですよね。
言葉の通じない犬との日々
「恰好、仕草、姿の一つひとつが、抱きしめてやりたいほど可愛らしく、いくら眺めていても倦きない(p.15)」とあるのは、犬好きなら同感間違いなし。
なんでこんなにかわいいんだろう? と真剣に考えるほど、愛犬は可愛いものです。
ハラスにメロメロになっている夫婦のようすに「わかるわかる」と頷きながら読みました。
わんこは言葉が通じません。筆者も「相手は物言わぬ存在だから、その欲望や気分を察したり、こっちの意志を伝えようとするのに、慣れないものだから人間相手以上に気骨が折れる(p.22)」と述べています。
でもだからこそ「それだけにその言葉の通じない存在と意志の疎通が成立ったときのうれしさはまた格別で、これは犬を飼って初めて知る幸福感であった(p.22-23)」となるわけです。
私もしいちゃんを迎えてすぐは、散歩のときに引っ張るのはなぜ? なんでいたずらするの? どうして吠えるの? とわからないことばかり。
こうしてほしい・ああしてほしいという思いはあっても、伝え方がわからない…と悩みました。
でもだからこそ、こっちがしてほしいことがわかってもらえたり、わんこがしたいことが理解できたりすると本当にうれしくなります。
シェルくんの介護のときもそうでした。夜中わんわん吠えられて、どうしていいかわからない…でもおむつを替えたり寝かせ方を変えたりして、満足して眠りにつかせてあげられたときは本当にうれしかったのを覚えています。
大変、だからこそ楽しい。そんな矛盾した幸福が、ここには込められている気がします。
犬生今昔
この作品が上梓されたのは1980年代。13歳のハラスくんを見送ってから書かれた作品なので、1970年代のわんこを取り巻く社会が描かれていることになります。
良きにつけ悪しきにつけ、今とは違う! と思うことがたくさんありました。
うらやましいこと
ハラスくんと一緒に山小屋を訪れた筆者。
冬の山の中、フリーのハラスくんは楽しそうに走り回ります。
さらに一緒にスキー場に来訪。リフトを追いかけて走るハラスくん(!)。
夕方、スキー場近隣で飼われているわんこたちと一緒にフリー(!)で遊びまわるハラスくん。
スキー場でわんこをノーリードにしておけるなんて…看板わんこたちがフリーで走り回っているなんて…現在では考えられません。
もちろん迷子や事故の危険はあるので一概に「うらやましい」だけではありませんが、わんこを受け入れていた社会はすごいと思いました。
(このスキー場のエピソードのあと、さらに別の雪山でハラスくんの身に起きた大変な事件もあるので、そちらはぜひ本書をお読みください)
今はそういう場所はあるのかな? と思って軽く調べてみましたが、「ドッグランはわんこOK」「ゴンドラのみわんこOK」「ケージに入れられるならスキー場OK」などで、ノーリードでスキー場OK! なところは発見できませんでした。
スキーやスノボにぶつかったら危ないし、そりゃそうですよね。
作者がハラスくんと一緒に訪れている志賀高原ですが、私が気になっている「パディントンハウス」というホテルがあるんですよね。
わんこと一緒に布団・ベッドに上がれるのはもちろん(我が家の旅行先を決める最優先事項です)、初代の看板犬が元迷子犬の雑種犬。
現在の看板犬は元保護犬のヨークシャテリア「麟太郎」くんとのこと。
「冬は雪の中で思い切り遊べる」「春~秋はドッグラン内でアジリティを楽しめる」というのがウリのホテルのようなので、いつ行っても楽しそうです。
これはちょっと…と思ったこと
やはり一番は「しつけ」のギャップ。
迎え入れたばかりのハラスくんがさみしくて夜鳴きをしたとき、何と筆者は「物指(ものさし)で思い切り尻を叩」きます。
同じように、ハラスくんがトイレに失敗したときにも体罰を行います。
これは筆者が、犬の粗相は厳しく叱るべきだと書かれた随筆を読んだから。
この作品も広く読まれ、テレビドラマ化もされました(かなり高視聴率だったようです)。映画化もされています。ドラマ・映画の内容は確認できていませんが、この作品に触れた人が「そうか、わんこをしつけるときには体罰が必要なんだ」と思いませんように…。
我が家の体験談も記しておくと、生後2か月で我が家にやってきたちまきをぶったことは一度もありません。でも、トイレはきちんと覚えてくれました。
成犬になってからお迎えしたシェルくんも、晩年体が動かせなくなるまでトイレは外派で、間違えて家の中でしてしまう、ということはありませんでした。もちろん体罰をしたことはありません。
わんこのしつけは体罰なしで大丈夫。この点に関しては、現在は意識も変わっていてよかったな、と思います。
「その犬以外の犬ではだめだ」
ただの犬と思うなかれ、わんこは大事な家族です。
私もわんこと暮らし始めて、しみじみとその言葉の意味がわかりました。
ただの「犬」ではなくて、唯一無二のその子になります。
筆者もこの作品を発表してから、たくさんの電話や手紙が来たと記しています。かけがえのないわんこに思いをはせる読書として、「ハラスのいた日々」おすすめです(‘ω’)ノ
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